小田原

4月某日、数年ぶりに小田原に行ってきた。

何故だか自分は数年に1度、この土地を訪れたくなる。

小田原市民や小田原ファンには悪いのだが、神奈川県内には横浜や鎌倉、湘南など他にもっとメジャーな土地はあるし、近場には箱根や熱海などの温泉地がある。それら有名な観光地の影に隠れて小田原はどうしても地味な印象であることは否めない。実際に特別見るべきものもないのだが、自分はなんだかこの町が好きだ。

小田原駅を出てすぐのところにいつの間にか江戸時代風の商業施設ができていた。そういえば最後に来た時に何か作っているようではあったが、このような大掛かりな施設を作っていたとは驚きである。

中にはおしゃれな飲食店や土産物屋、ホテルなどが入っている。最近作られた建物であるにも関わらず、外観が江戸時代風というだけでなんとなく気分が上がる。個人的には西洋の真似をするばかりでなく、このように見せかけでもいいので各地に和風の建築が増えたらいいと思っている。

駅から10分程歩くと小田原城に辿り着いた。白亜の天守閣が聳える様は圧巻である。やはり日本の建築は西洋のものに勝るとも劣らない美と威厳を備えている。

お城前の広場には数十人程の観光客がいたが、その中には外国人観光客の姿も多く見られた。以前は小田原で外国人を見かけることなどあまりなかったのだが、ついにこの地も発見されてしまったようだ。そのことに私はなんだか少し寂しい気持ちがした。

決して外国人が嫌いとかそういうことではない。あまり多くの人が訪れない自分だけの小田原とでも言うべきか、見つかっていない穴場的観光地としての小田原を愛しているのだ。当然これは私のエゴであって、地元の人たちにとっては多くの外国人観光客にも訪れてもらった方が潤って嬉しいだろう。しかしそうなればなるほど、マイナー観光地を求める自分にとっては魅力を失っていくのも事実である。

小田原には数年に一度来ているのだが、小田原城の天守に入るのは実は十数年ぶりである。

内部は私が最後に訪れた時とはだいぶ様変わりしていた。ぼんやりとした記憶ではあるが、たしか以前は木造の床でまさにお城という感じであったと思うのだが、現在はすっかり現代的になって展示物もとても見やすくなっている。しかし、城の内部という実感はなく博物館にでも来たような感覚だった。

階段も以前は木造で、数年に一度転落事故でも起きているんじゃないかというぐらい急な物であったと思うのだが、今はすっかり新しい階段になっていた。上りやすくてとてもいいのだが、風情は失われてしまった。あの急な階段をひぃひぃ言いながらまた上りたかったが、管理する側としては事故などあっては責任問題にもなりかねない。これも時代の流れなのだろう。

最上階からは小田原の町を一望できる。高い所からの景色とはいいものだ。どこに行っても高所から見下ろしたくなるのは何故だろう。食料やら敵やらを探しやすい場所を好むとかそういう理由からくる人間の本能だろうか。

この日は強風で高い場所にいると立っているのも大変なぐらいだった。柵があるとはいえ恐怖を感じる。高所からの眺めもそこそこにして、降りることにした。

さて、お城から15分程歩くとこんな狭いトンネルに行き着く。

トンネルを抜けると……

そこは一面の海である。

海岸にはちらほら人影が見えるのだが、皆とても格好良い。海には人を魅力的に見せるマジックがありそうだ。

海岸では草や木が落ちているのをよく目にするが、こんな草木でさえなんだか妙に様になっている。草木が様になるぐらいだから人間が様にならないはずがない。大切な人に気持ちを伝えるなら海辺に限るだろう。

波の音を聞き、石の上をからりからりと音を立てて歩きながら、自分は何故小田原が好きなのか考えた。

思い返してみると自分が小田原に初めて来た頃は進路等にとても悩んでいた時期であった。その後も何度か訪れたのだが、やはり悩んでいてあまり人の多くない町や海でリフレッシュしたいという気持ちがあったように思う。小田原は丁度いい具合に適度にひなびた場所であったのだろう。

この場所に来ると辛かった時期のことを思い出すのだが、何故だかそれが心地よい。それは現在がその頃よりは良い状況になっているからだろうか。最悪の時期を抜けた安心感と、当時の自分を労いたい気持ちが交差する。

今回小田原を久しぶりに訪れてみて、変わりゆく小田原と変わっていない小田原を目にした。変わっていくことにもちろん異論はないのだが、メジャー過ぎない適度な観光地の地位は守ってほしいと願う利己的な自分がいる。

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